お知らせ (事業・活動)

保護者寄稿  我が子の成人式を終えて

Screenmemo_2015-02-18-16-11-20 小学校時代の友達と一緒に

 

20年前、我が子はダウン症をもって生まれてきました。それまで、私は障がいについて何の知識もなかった分、いろいろなつながりを求めてたくさんの方に出合ってきました。

その頃、久留米では、障がいを持っていても「地域の学校で一緒に学びましょう」という学校の先生方を中心とした教育活動の大きなうねりがありました。

「一人で育てようと思ったらだめだよ」

「障がいを持った子こそ、みんなで育てていくべきだよ」

このような考えに接し、びっくりしたと共に、大きく安堵したことを覚えています。

近所の小さな公立保育園では、プロの保育士や優しい加配(久留米市が独自に取り入れている制度)の先生に熱心に育てていただき、私は少しずつ仕事にも復帰できるようになりました。

 

小学校時代も、近所の子ども達に囲まれながら安心して登校させることができました。子ども会を通しての家族ぐるみのお付き合いは今も続いており、我が家の宝物です。そして、5年生の頃から始まったのが、月1回、出会いの場ポレポレでのお泊り。早い段階から親以外の方々に生活面を見てもらう経験をさせていただいたことで、今でも不安なく親から離れて外泊できるようになっています。とても有難いなと思っています。

中学時代は、学校全体が落ち着かない中、つらい経験がたくさんありました。どの子も自分を守ることで精一杯。だんだん孤立し、自ら周りに大きな壁を作っていく我が子、笑顔が消えていく我が子に、何もできない無力感を感じていました。

 

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特別支援学校高等部3年生の時、グループホーム「こりんずハウス」の立ち上げメンバーに加えていただき、本人は1年間、「こりんず」から登校するという経験をしました。親切な世話人さんや仲間達とそれなりに楽しく暮らしていたようですが、進路の話で本人とじっくり向き合った時、「僕が、ダウン症だからといって、僕の人生を勝手に決めないでください」と言われました。この言葉は、私にとってかなりショックでした。そこで、今一度、生活をリセットしようと考え、自宅に帰すことにしました。子どもに良かれと思ってしていたのですが、親の敷いたレールに乗せていたようで、本人にとっては辛かったようです。

卒業後、就労移行支援の事業所に通いながらも、「本当は、僕も小学時代の友達のように大学に行き、サークル活動をしたい」という思いが捨てきれず、受験にもトライしました。結果は不合格でしたが、自ら前に進むためにも必要な挑戦のようでした。

 

今年の1月、こうしていろいろありながらも、成人式を迎えました。次第に友達と会う機会もなくなり「寂しい」成人式になってしまうかもしれないなあ…と私は不安でしたが、本人にとっては、最大の楽しみ。待ちに待った日でした。

当日、成人式会場のホテルでは、会う人会う人に声を掛けられ、みんなと一緒に写真をたくさん撮りましたし、本人も、好きだった女の子とツーショットを撮っていました。式の後は、小学校のクラス会や支援学校の祝う会と次々に駆け回りました。そして、夕方からの中学校の同窓会。実は、本人はぎりぎりまで参加を迷っていたのですが、親の心配をよそに、帰って来ると、「楽しかった!」。ビールを飲んだり写真を撮ったりしたようです。あの時期、踏ん張ってきたのは決して無駄なことではなかったなあ…と、しみじみ感じることができた1日でした。この日、友だちと肩を寄せ合った写真は、本人の宝物になることと思います。

人生の大きな節目の成人式は終わりました。成人した今、本人が自分の希望を追いながらも、しっかり現実にも目を向けて生活していってほしいと願っています。そして、私自身はこれからも「地域で暮らす」という意味を探り続けていこうと思っています。 (藤野 薫)

 

 

20150309185132 ご本人の直筆です