社会福祉法人 拓く

お知らせ (インフォメーション)

この度の九州北部地方での豪雨災害で被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。7月7日より当法人は支援に入りました。

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当法人は、朝倉市杷木町にある職員の実家が被災し、7月7日より支援に入りました。

久留米から高速道路に乗り、杷木インターチェンジに近づくと、車や家が流されている光景が見えてきました。杷木インターチェンジにも大木が折れて山積みになり、無残な光景になっていました。流されてつぶれた住宅、横倒しになり土に埋まった車、道路を覆った土砂、道路の陥没、川のように道路を流れる泥水……。そして、無残にも消えた町並み。
現地は、沖縄などから駆け付けてきた警察や自衛隊員が多く、町の方々はほとんど避難されていましたが、高台にある家に住んでおられる人や崩れた家に荷物を取りに来ている人、遺体が見つかって落胆されているご家族の姿があり、事の重大さを実感しました。

まだまだ大変な状況であることと思いますが、被災された皆さまが、一日も早くこれまでどおりの生活が取り戻せるよう心よりお祈り申し上げます。

当法人の職員、理事たちが手分けして支援物資を買い出し、現地まで運んだり、知り合いの被災した事務所内の泥の掃き出しをしたりしました。

今後も支援を続けてまいりたいと思います。   (理事長 馬場 篤子)

 

杷木町への支援物資 7月9日現在
カセットコンロ    20台

カセットコンロボンベ 20セット

チャッカマン     20本

鍋          20個

Tシャツ       10枚

下着(男性・女性)  20枚

ウェットティッシュ・サランラップ・コップ・紙コップ・紙皿・お箸・ビニル袋(大)    1

蚊取り線香、フマキラーなど

 

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6月21日、野田文子理事長が退任し、馬場篤子が新理事長に就任しました。理事・監事、及び評議員の皆さんもご紹介しています。

 

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当法人は、6月21日に開催しました評議員会、理事会において、6月21日付での野田文子理事長の退任と馬場篤子常務理事の理事長就任を決議いたしました。

無認可共同作業所の時代から関わってきた法人設立の中心メンバーは60代から70代になり、いよいよ本格的に事業運営の中心的な担い手は、次世代の北岡さとみ統括本部長、浦川直人本部長らにバトンタッチとなります。

超少子高齢化時代を迎えた今、彼らが前向きに取り組んでいけるよう、60代、70代の私たちがどのような背中を見せるべきか、どのようなことを後押しすべきなのかを考えながら、これまで以上に力を合わせて進んでいきたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

理事・監事名簿

任期:平成29年6月21日から平成30年度会計に関する定時評議員会の終結の時まで

定数:理事 6名以上10名以内  監事 2名以上

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評議員名簿

任期:平成29年4月1日から平成32年度会計に関する定時評議員会終結の時まで

定数:7名以上20名以内

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当法人の評議員石橋裕子さんより、NPO法人ハンズオン埼玉の活動について、寄稿をいただきました。『「お客様にしない」=みんなが当事者になれる、暮らしの作り方』。地域を元気にする様々な取り組みを紹介しておられます。

当法人の評議員石橋裕子さんより、NPO法人ハンズオン埼玉の活動について寄稿をいただきました。

同法人は、「おとうさんのヤキイモタイム」などのプロジェクトを実施しながら、地域を元気にする活動を広げておられます。1月には、同法人の西川正さんを講師にお迎えし、講演会『地域をもっと元気にする「しかけ」づくり~おとうさんのヤキイモタイム~』を「出会いの場ポレポレ」で開催しました。

(当日の様子は、HPにて紹介しています こちらへ → )

 

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「お客様にしない」=みんなが当事者になれる、暮らしの作り方

 

1.おとうさんのヤキイモタイム (こどもにあたらず、火にあたる)

西川さんが暮らす埼玉県は47都道府県において、郷土愛ランキング最下位と言われています。東京の最大のベッドタウンであり、職場や学校は東京で、家は埼玉という「埼玉都民」が大量に生まれ、毎日約100万人が東京へと通勤通学しています。

その埼玉県で、人と人をつなげることに日々、ゆるく奮闘している西川さんは、2005年から「おとうさんのヤキイモタイム」という父親の子育てを応援するキャンペーンを埼玉県と協働で実施しています。毎年県内100か所以上1万人以上の親子が参加する埼玉の秋の風物詩となっているそうです。

 『一緒につくる、企画する、ドキドキするから人は仲良くなれるのです』という西川さんは、「楽しいヤキイモタイムの作り方」として3つのポイントを挙げます。

・一緒に働く

・一緒に悩む

・リスクを共に背負う。

一緒にリスクを背負ってくれる人がいたら、たとえ失敗しても後で笑ってふりかえることができます。つまり、『失敗が楽しい、失敗が笑える、失敗が人をつなぐ』ことを大事にしながら、お父さんのためのヤキイモタイムを実施しているのです。

西川さんは、「支援される」だけでは人は尊厳を保てないし、元気になれません。助けてと言えるコミュニケーションをつくるために、困りごとがおもしろいと思う事こそが人をつないでいくのだと考えています。

 

焚火のできるまち・できないまち

西川さんは、焚火ができるまちとそうでないまちがあるといいます。

住民同士の顔が見えないと何をしているのかがわからなくなり、不安を生み出していくのです。焚火の煙が来た時に、焚火をしている人を知らないと、すぐ役所に苦情の連絡がいきます。苦情を受けた役所は、禁止の看板を建てます。こうしてまちのあちこちに禁止の看板が増えていく・・・ということが起こります。

逆に、住民同士の顔が見え、互いの声を聞き、人柄を知ることで、この人たちが何をしているのかがわかると、自然に折り合いをつけることができて、焚火を許せることになるのです。

焚火のできるまちは、

・みんなで話す(何をやっているのですか?)

・みんなで決める(一緒にやりましょう)

・責任は共同で持ち役割は分担する(私も手伝います)

が根付いて行くまちなのです。

コミュニティワーク

みんなでいっしょにつくる、コミュニティワークという仕事が地域に必要です。コミュニティワーク付きの社会サービス、つまり入り口はサービスであっても、出口はコミュニティ(市民として育つこと)であることを共に考えていきたいと思うのです。支援とは一緒にその生活をつくること(市民として育つこと)であり、「ありがとう」とお互いに言える関係を作る事なのです。

そこでは、「ルールだから」ではなくコミュニケーションによる課題解決が図られます。

だから、お父さんのヤキイモタイムは、

企画の段階から参加者自身(父親・住民自身)がかかわっている。

芋、燃料などの必要な食材や資材はみんなでもちよる。

ああでもない、こうでもないといいながら、みんなが作業にかかわっている。

総じて、「よいかげん」な時間を共に過ごします。

特に子育ての中では、みんなが子育ての当事者になれるために、お互いにパートナーとなることが子育ての喜びにつながります。子育ての肩代わりでもなく、指導者でもなく、一緒に考え一緒に作ることで人がつながっていくことができるのです。私はこうしたい、そのためにはあなたの協力が必要です。一緒に考えてくれてありがとう、あなたがいてくれて本当によかった。そんな関係が生まれてくることを願って、ヤキイモタイムを続けてきました。

 

2.まずは「おもしろい!」から

園庭の難民を救え!お父さん遊園地

西川さんは、なんでもまずは、「おもしろい!」ことが大事だと考えています。

我が子の保育園時代には、会長として共同で子育てしていける関係づくりにかかわりましたが、そこでもたくさんの「おもしろい!」を生み出しました。そのひとつに、保育園の夏祭りに園庭でポツンと自分のこどもの写真をとることしかやることのないお父さんに、なにか仕事をつくろうと考え、はじまったのがその名も「お父さん遊園地」。

「人力観覧車」では、窓をきった段ボール箱を子どもにかぶせて、子どものうしろにたって、脇から体をもって、ゆっくりともちあげながらまわす。浴衣を着たお母さんが、遠巻きに壁際で見ているお父さんに近づいて、「手伝ってください」と声をかけます。お父さんは両手を出して、箱ごとこどもを抱き上げ、高く掲げ、ゆっくりおろすというまさに人力観覧車になります。これは体力腕力が必要で、数人のこどもを抱き上げ回すだけで汗だくになってしまうので、次のお父さんが人力観覧車を引き継いでいきます。実は出番を待っているお父さんは多くいて、浴衣姿のお母さんは、ひたすらお父さんに声をかけるという、お客さんをつくらない保育園の夏祭りの企画です。我が子以外のこどもを抱き上げるのも、めったにない経験となり、「重いね」とか「うちの子もこうだった」など話が弾み、お父さん同士のかかわりを生み出していきました。

小学校でもおもしろい!をちょこちょこつくる

こどもが小学生になってからも、西川さんはあちこちでおもしろいことを作りました。

大雪が降って雪が積もったら、アパートの前に雪だるまではなく、ちょっとおもしろい「ロダンの考える人」を作る西川さん。せっかくの雪だから、おやじの会に声をかけ、メンバーと学校の雪かきのお手伝いに行くのですが、雪かきだけではおもしろくないので、カマクラを作ってみたりオブジェ(風の谷のナウシカのオーム)を作ってみたりしています。

運動会では、おやじの会に声をかけて、昼休みに本部テントの前で、被り物をかぶったり、着ぐるみをきたり。そんなかけっこを企画します。入学式には顔出しフレームをつくって、「小学校へようこそ」の気持ちをこめて、記念写真のシャッターを押すことで、人と人とをつなげていきます。こんなことをPTAやおやじの会で、ゆるくおもしろく楽しんでいるのです。

 

3.暮らしの中に「ありがとう」を生み出す

~誰のせいというよりも、「私たちの暮らし方」の問題として考えるために~

 

サービス社会の先には、消費者しか育たない暮らし方が待っています。例えば、保育所がサービスだとすると、そこでけがをしたこどもに手当をしてくれた先生に「なんで、けがをさせたのですか?」となっていきます。けれどみんなで作る保育園であれば、当然我が子のけがを手当てしてくれた先生には「ありがとう」と感謝の言葉がでてくるはずなのです。

こどもと公園で遊ぶイベントでのことです。

参加者をお客さんにしてしまうと、「○○ができなかった」「○○をしてくれない」と言いつけのようなことが、スタッフに持ち込まれ、かかわるスタッフが疲弊し、もうやりたくなくなりました。そこで、次からは、参加者に対して、入場する前にスタッフが、このイベントはボランティアで運営していること、みんなで楽しむイベントであることを紙芝居で伝え、会場に入ってもらいました。すると、参加者がお客さんではなくなり、自分で考えて動き始めます。後片付けも一緒に行い、たくさんの「ありがとう」が生まれました。

「なにかあったらどうするのか」を「なにかあったら一緒に考えましょう」に変えていく。

これは、関係が緊張する社会から、「ありがとう」を生み出す社会への転換です。

自分にとって損か、得かではなく、自分のせいにされないかに怯えることなく、そこにいる人で遊び、そこにいる人で一番面白くすることを考えていくことそのものが面白いのです。

 

他にも西川さんは、七輪を囲んでいろいろ焼いて楽しむ「七輪の侍」(ちょんまげを被って、もっとおもしろがる)や会議参加者が犬の被り物かぶって、発言の語尾は必ず「○○○わん!」というようなゆるやかな場をまちのあちこちに生み出してきました。これからも近所の人と焚火や七輪を囲んで、ゆっくりとおしゃべりができる。そんな時間を取り戻していきたいものです。

                (出会いの場ポレポレ評議員 石橋裕子)

 

NPO法人ハンズオン埼玉について こちらへ →

 

2017年 新年のご挨拶 明けましておめでとうございます 希望に満ちた新しい年。誰もが、その人らしく輝ける年になりますように!

新年明けましておめでとうございます。

昨年は新しい取り組みに挑戦した年でした。

「安武ほんによかね会(20~40代)」を中心とした「安武そら豆祭り」や「久留米市西部障害者基幹相談支援センター」の開設。月2回の「安武こども食堂」やポレポレ祭りの「子ども広場」は地域をとても元気にしています。

希望に満ちた新しい年。日差しを浴びて大地に育つそら豆のように、誰もが、その人らしく輝ける年になりますように。

今年もよろしくお願いします。

 

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9月、社会福祉法人HOPさんが開設された「Sora」の竣工記念式典に参加しました。医療的ケアの方を受け入れるための浴室や宿泊場所などに様々な工夫。理事長の竹田さんとの出会いで多くを学び、勇気や元気もいただきました。

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9月28日(金)、社会福祉法人HOP(札幌市)の「Sora」開設において祝賀会が開催され、当法人より参加しました。札幌は九州から遠い場所ですが、理事長の竹田保さんにはこれまで大変お世話になっておりますので、竣工式には絶対にお伺いしたいと思い、夕方の6時ぎりぎりに札幌に着き、その夜の竣工記念式典に参加し、札幌を後にしました。

「Sora」は主に医療ケアを必要とされる重度の方を対象として開設され、「日中活動」のみならず、「児童ディ事業」「ショートステイ事業」を合わせて24時間、その方たちを支えるサービスを展開されていきます。施設を拝見し、医療的ケアの方を受け入れるための浴室や宿泊場所などに様々な工夫をされていました。

 

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 浴室                                  宿泊場所

 

竹田 保さんとの出会い

 

竹田保さんに初めて出会ったのは、確か2010年の秋です。当時、北海道厚生局長を務めていた藤木則夫さんが竹田さんに久留米に行くようにお願いしてくれました。

当法人が事務局を務める『生き方を探るシンポジウム』の実行委員長に筋ジストロフィーの塚崎修平君が就任したので、竹田さんに励ましてもらうためでした。竹田さんが、自ら筋ジスという難病と闘いながらの車椅子生活。しかし、数多くの事業所の運営と誰もが地域で暮らせる街づくりに挑戦しながら被災地支援、移動支援など多くを手がけておられ、当事者の経営者でもあり、リーダーでもある方なのです。

あの時、竹田さんは釧路から飛行機を乗り継ぎ、塚崎君を励ますためだけに久留米に来てくださいました。その後、塚崎君を北海道に呼んだり、彼が夜間にヘルパーを入れる時、一人暮らしする時、人工呼吸器をつけたりする時、岐路に立つ度に北海道から駆け付けてくださいました。そんな人情味のあるすごい方です。

 

竹田 保さんと一緒に東北震災支援に

 

2011年3月11日の東北震災地震、竹田さんは即座に部下を東北被災地に向かわせました。そして、ご自分は4月4日から被災地に入りました。私も宮城県石巻市に支援で入っていたので、竹田さんのリフトカーに乗せていただき、4日間、ボランティアセンターや地獄絵のような海岸端を回らせていただきました。危険を顧みず、休みもとらずに、被災者や支援者がいる場所に行く竹田さん。ハードなスケジュールの中、食事も口を通らなかったようでしたが、休まれることはありませんでした。すごい精神力と体力の持ち主。まさに精神力が難病を超えているという印象でした。出会いから約6年。竹田さんの生き方にはいつも多くを学んでいますが、勇気や元気もいただいてきました。         (常務理事 馬場 篤子)

 

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