お知らせ (研修)

1月20日に奈良県の障害者福祉作業所「ひまわりの家」を視察し、21日に「暮らしネットフォーラム2~廣瀬明彦氏を囲んで~」に参加しました。全国の福祉の仕事に携わる30代、40代、50代、そして60代が混ざり合って学びました。明日からの実践に活かしていきたいと思います。

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1月20日、奈良県磯城郡三宅町の生活介護「ひまわりの家」に行きました。

「ひまわりの家」は、1992年、三宅小学校の先生たちが「障害児が小学校を卒業した時に、行くことのできる場所をつくりたい」と考え、小学校の中のプレハブで生まれました。現在は、社会福祉法人「ひまわり」が設立され、障害者作業所やグループホームなども運営されています。

そして、知的障害者の権利擁護活動を支えようと「ピープルファーストジャパン」の事務局も務めておられます。「ピープルファースト」とは、1973年、アメリカのオレゴン州で始まり、「自分たちのことは、自分たちで決める。親や職員が決めるのではない」との考えで展開している当事者運動です。

この日は、その事務局長を務める中村清司さんやピープルファーストジャパンの支援者の吉田裕子さんにピープルファーストの活動状況についてお話をお聴きしました。

また、施設長の喜多学志(きたひさし)さんや常務理事の渡邉哲久さんと、「ひまわりの家」の設立の経過や現在も尚、「障害者の人権」にこだわった取り組みについてお話をお聴きしました。

夜は廣瀬朋さん(廣瀬明彦さんのご子息)に宇多から出てきていただき、喜多さんと中村さんと私、年代も立場もバラバラの人で楽しく情報交換をしました。

 

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生活介護・就労継続支援B型ほどらいこ

 

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翌日の21日、奈良県暮らしを支えるネットワーク主催の「暮らしネットフォーラム2~廣瀬明彦氏を囲んで~」に参加しました。今回のテーマは『希望はある。人間、生きとるんやから』。

京都相楽福祉会 常務理事の廣瀬明彦さんは、知的障害者の地域支援の点で名の知れた方でした。当法人も職員と共に何度も足を運び、お話をお聞きしました。

2013年1月29日に亡くなられて4年が経ちます。

現在、息子さんの廣瀬朋さんを中心に、奈良県で実行委員会が結成され、廣瀬明彦さんのことを想いながら学習会や年に1回のフォーラム開催が実施されています。

今年は第2回目。懐かしいメンバーともお会いできるということで伺いました。

 

当日は4人の登壇者が長時間、様々な角度からお話されました。

印象に残った発言をここでご紹介します。

 

◆講演『私の生きざし 地域生活移行から福島支援』 
講師の山田優さんは愛知県知多市で、相談支援のコーディネーターの走りを務め、それから長野県西駒郷地域支援センター長等を経て、福島県被災地における障害福祉サービス基盤整備事業アドバイザー派遣事務局総括コーディネーターを務めておられます。

 

「『寄り添う』より、『伴走』がしっくりくる。

 『丁寧に聴けているのか』『じっと待つ支援』、つまり、

 ・あなたの気づきが湧きだす ⇒ 意思形成

 ・つたえようと表現する ⇒ 意思表明

 ・迷いながら決定した ⇒ 意思決定

 その『意思形成』⇒『意思表明』⇒『意思決定』をじっくり待つということだろう」

 

◆シンポジウム『希望を持って歩む。”私”はどうする?』
〇コーディネーター おおさか地域生活支援ネットワーク 理事長 北野誠一さん

 「地域の生活主体者として生きることは、そのようなリスクを背負って生きることである。それ故に、その人生をできる限り、豊かで面白いものにしていこうとする、本人と支援者のコラボレーションが生まれてくるのであり、そもそも本人が選んだリスキーな選択がなければ、本人の主体的な生きざまをサパートできない」

 

〇シンポジスト 西宮市社会福祉協議会 常務理事 清水明彦さん
「本人と支援者と、そして市民(3者)が、お互いの存在の価値を心底から実感し合いながら、共生社会実現にむけて共に進める相互の支援の総体としての『本人中心支援』をする」

 

〇シンポジスト 寝屋川市民たすけあいの会 事務局長 冨田昌吾さん

「社会保障、社会福祉に限っては、もう国はクリエイティブに考えことができるような状況でないような気がする。21世紀になり、社会福祉施策はなくなり、『公的扶助』と『社会保障』という政策的なコンセプトが、金銭面、そして対人援助サービスを市場から購入するやり方にかわってきた。今後、生産年齢の減少により、そのことは持続不可能となる。それなのに、コミュニティもなく、家族の支え合いもないという深刻な地方、地域の貧困化現象。実践では、うんざりするような『○○障害』の××とこまめに診断項目があるのに、対応する専門性がない。診断主義的なアプローチが山盛りになり、変な医療モデルばかりになっている。こんな『見えない○○』を『見える化』するのではなく、誰もさりげなく手を添えることがどんなに大切なことか。相談支援が事業化されて良いことがあったのか。チームでやったら無責任になっているのではないか?」

 

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4人の登壇者の年齢は、私と同じ60歳過ぎ。障害者が地域から排除されないように、また、支援をする場合に自分の差別性を問うてきた年代です。仕事というより、ライフワーク、また、障害者問題を通して社会を変えようと。

今回、会場に足を運んだ皆さんは、主に30代、40代、50代。「障害者差別」や「運動」という言葉がしっくりしない若い世代が聴いてどう感じたのでしょうか。いずれにせよ、私たち世代が運動を進めるときは仲間もいましたし、応援者もいっぱいで、孤独を感じることが少なかったように思います。

なかなか「つるまない」若い人たち、これから何をやるにしても仲間がいたらどんな心強いだろうと思います。そんな中、この会場にいた京都、奈良の若者たちは悩みながらも仲間づくりが進んでいるように思えました。   (常務理事 馬場 篤子)