お知らせ (インフォメーション)
7月、私たちの「隣人」である東北を訪ねました。2011年3月、東北大震災の支援で駆けつけて、今。宮城県石巻市はようやく復興住宅の建設へ。福島県南相馬市の「相馬野馬追」には人々の底力、大きな復興の力を感じました。
7月23日(土)、24日(日)、東北の宮城県石巻市、福島県南相馬市に行きました。福島県双葉郡浪江町の橋本由利子さん(NPO法人コーヒータイム理事長)から「南相馬市」に新居を建てたので、「わが家に泊って、相馬野馬追(そうまのまおい)を見においで」というお誘いがあったので、気楽にお伺いしたという感じです。浪江町は福島原発から20キロ圏内にある町です。東北は距離的には九州から遠いところですが、私の気持ち的には久留米の隣町という感じです。
遡れば2011年3月11日の東北大震災。支援の仲間から東北の沿岸部は軒並み壊滅状態で助ける人がいないと聞き、九州から隣人として東北に駆けつけるべきと考え、2011年3月26日から5月まで石巻市や南相馬市に入りました。この間に出会った方々は今も連絡を取り合うようなおつきあいをしています。
2011年は月に1、2回は、当法人の職員を連れて東北に通いつづけました。そして、その年から5年間、今度は、被災地の皆さんが秋に開催する当法人の「ポレポレ祭り」に駆けつけてくださいました。まさに、支え支えられて信頼関係が深まり、今や親戚に近い関係になっているように思えて、有難いことです。
23日(土)13時過ぎに仙台空港に着くと、鈴木さん(石巻市職員)が空港まで迎えにきてくださいました。鈴木さんは震災当時、河北総合センター「ビッグバン」の職員。そこは大勢の被災者の避難所となっていましたので、泊りがけで支援に行った際に出会った方です。
まず、石巻市の遠藤さんの新居をたずねました。その後、追波川仮設住宅も訪問。2019年までに完成予定の復興住宅に入居する方々が住んでおられ、被災地ではやっと6年目にして、広大な土地に復興住宅が建設されようとしています。
遠藤さん宅 追波川復興住宅予定地 追波川仮設住宅の皆さんと
その後、南相馬市の橋本さんの新居(浪江町に家があるが放射能濃度が高いため家に戻れない)にお邪魔しました。
翌日24日(日)、国指定重要無形民俗文化財の「相馬野馬追(そうまのまおい)」が行われている福島県南相馬市へ行きました。23日から25日までの3日間、相馬市の相馬中村神社で行われる出陣式を皮切りに、南相馬市原町区の雲雀ヶ原祭場地を中心に繰り広げられ、延べ約19万3千人の観客が見つめた戦国絵巻さながらの光景です。
厳しい東北大震災を乗り越えて、まだほとんどが今年も避難先の仮設住宅などからの騎馬武者として出陣という中、24日は約440騎の騎馬武者、約4万3000人の見物人です。
相馬総大将による「先祖から引き継いできた野馬追をやりぬくことが復興に寄与することと信じ、復興を期待する」との訓示もありました。兜や衣裳を始め、馬は3月頃から中央競馬場から借りるとのことで、費用的にも高額ですし、祭りを推進するには乗馬などの日頃の訓練もかなり必要です。これが1000年以上も続き、いわゆる現代っ子にも受け継がれているとお聞きして、相馬市や南相馬市の底力のようなものを感じました。
毎年、どうしてこのように手間暇は勿論のこと、費用がかかることができるのでしょうか。南相馬市は、震災前の70,000人という人口が、震災後、放射能被害により、2011年6月には34,600人になりました。翌月も「相馬野馬追」を実施。そして、2016年6月の人口は62,500人に戻っています。それは、地元の皆さんの誇りである「相馬野馬追」の力だと思いました。復興の大きな力になっているのです。
初めて「相馬野馬追」を目の当たりにして、私は大きな驚きと感動を覚えました。自分が想像していたような「武者行列」ではなく、この地の人たちの魂を感じられる行事であり、震災からの復興を成し遂げていくためになくてはならない重要な祭事なのだということが、よく理解できました。 (常務理事 馬場 篤子)