社会福祉法人 拓く

お知らせ (トピックス)

当法人の評議員石橋裕子さんより、NPO法人ハンズオン埼玉の活動について、寄稿をいただきました。『「お客様にしない」=みんなが当事者になれる、暮らしの作り方』。地域を元気にする様々な取り組みを紹介しておられます。

当法人の評議員石橋裕子さんより、NPO法人ハンズオン埼玉の活動について寄稿をいただきました。

同法人は、「おとうさんのヤキイモタイム」などのプロジェクトを実施しながら、地域を元気にする活動を広げておられます。1月には、同法人の西川正さんを講師にお迎えし、講演会『地域をもっと元気にする「しかけ」づくり~おとうさんのヤキイモタイム~』を「出会いの場ポレポレ」で開催しました。

(当日の様子は、HPにて紹介しています こちらへ → )

 

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「お客様にしない」=みんなが当事者になれる、暮らしの作り方

 

1.おとうさんのヤキイモタイム (こどもにあたらず、火にあたる)

西川さんが暮らす埼玉県は47都道府県において、郷土愛ランキング最下位と言われています。東京の最大のベッドタウンであり、職場や学校は東京で、家は埼玉という「埼玉都民」が大量に生まれ、毎日約100万人が東京へと通勤通学しています。

その埼玉県で、人と人をつなげることに日々、ゆるく奮闘している西川さんは、2005年から「おとうさんのヤキイモタイム」という父親の子育てを応援するキャンペーンを埼玉県と協働で実施しています。毎年県内100か所以上1万人以上の親子が参加する埼玉の秋の風物詩となっているそうです。

 『一緒につくる、企画する、ドキドキするから人は仲良くなれるのです』という西川さんは、「楽しいヤキイモタイムの作り方」として3つのポイントを挙げます。

・一緒に働く

・一緒に悩む

・リスクを共に背負う。

一緒にリスクを背負ってくれる人がいたら、たとえ失敗しても後で笑ってふりかえることができます。つまり、『失敗が楽しい、失敗が笑える、失敗が人をつなぐ』ことを大事にしながら、お父さんのためのヤキイモタイムを実施しているのです。

西川さんは、「支援される」だけでは人は尊厳を保てないし、元気になれません。助けてと言えるコミュニケーションをつくるために、困りごとがおもしろいと思う事こそが人をつないでいくのだと考えています。

 

焚火のできるまち・できないまち

西川さんは、焚火ができるまちとそうでないまちがあるといいます。

住民同士の顔が見えないと何をしているのかがわからなくなり、不安を生み出していくのです。焚火の煙が来た時に、焚火をしている人を知らないと、すぐ役所に苦情の連絡がいきます。苦情を受けた役所は、禁止の看板を建てます。こうしてまちのあちこちに禁止の看板が増えていく・・・ということが起こります。

逆に、住民同士の顔が見え、互いの声を聞き、人柄を知ることで、この人たちが何をしているのかがわかると、自然に折り合いをつけることができて、焚火を許せることになるのです。

焚火のできるまちは、

・みんなで話す(何をやっているのですか?)

・みんなで決める(一緒にやりましょう)

・責任は共同で持ち役割は分担する(私も手伝います)

が根付いて行くまちなのです。

コミュニティワーク

みんなでいっしょにつくる、コミュニティワークという仕事が地域に必要です。コミュニティワーク付きの社会サービス、つまり入り口はサービスであっても、出口はコミュニティ(市民として育つこと)であることを共に考えていきたいと思うのです。支援とは一緒にその生活をつくること(市民として育つこと)であり、「ありがとう」とお互いに言える関係を作る事なのです。

そこでは、「ルールだから」ではなくコミュニケーションによる課題解決が図られます。

だから、お父さんのヤキイモタイムは、

企画の段階から参加者自身(父親・住民自身)がかかわっている。

芋、燃料などの必要な食材や資材はみんなでもちよる。

ああでもない、こうでもないといいながら、みんなが作業にかかわっている。

総じて、「よいかげん」な時間を共に過ごします。

特に子育ての中では、みんなが子育ての当事者になれるために、お互いにパートナーとなることが子育ての喜びにつながります。子育ての肩代わりでもなく、指導者でもなく、一緒に考え一緒に作ることで人がつながっていくことができるのです。私はこうしたい、そのためにはあなたの協力が必要です。一緒に考えてくれてありがとう、あなたがいてくれて本当によかった。そんな関係が生まれてくることを願って、ヤキイモタイムを続けてきました。

 

2.まずは「おもしろい!」から

園庭の難民を救え!お父さん遊園地

西川さんは、なんでもまずは、「おもしろい!」ことが大事だと考えています。

我が子の保育園時代には、会長として共同で子育てしていける関係づくりにかかわりましたが、そこでもたくさんの「おもしろい!」を生み出しました。そのひとつに、保育園の夏祭りに園庭でポツンと自分のこどもの写真をとることしかやることのないお父さんに、なにか仕事をつくろうと考え、はじまったのがその名も「お父さん遊園地」。

「人力観覧車」では、窓をきった段ボール箱を子どもにかぶせて、子どものうしろにたって、脇から体をもって、ゆっくりともちあげながらまわす。浴衣を着たお母さんが、遠巻きに壁際で見ているお父さんに近づいて、「手伝ってください」と声をかけます。お父さんは両手を出して、箱ごとこどもを抱き上げ、高く掲げ、ゆっくりおろすというまさに人力観覧車になります。これは体力腕力が必要で、数人のこどもを抱き上げ回すだけで汗だくになってしまうので、次のお父さんが人力観覧車を引き継いでいきます。実は出番を待っているお父さんは多くいて、浴衣姿のお母さんは、ひたすらお父さんに声をかけるという、お客さんをつくらない保育園の夏祭りの企画です。我が子以外のこどもを抱き上げるのも、めったにない経験となり、「重いね」とか「うちの子もこうだった」など話が弾み、お父さん同士のかかわりを生み出していきました。

小学校でもおもしろい!をちょこちょこつくる

こどもが小学生になってからも、西川さんはあちこちでおもしろいことを作りました。

大雪が降って雪が積もったら、アパートの前に雪だるまではなく、ちょっとおもしろい「ロダンの考える人」を作る西川さん。せっかくの雪だから、おやじの会に声をかけ、メンバーと学校の雪かきのお手伝いに行くのですが、雪かきだけではおもしろくないので、カマクラを作ってみたりオブジェ(風の谷のナウシカのオーム)を作ってみたりしています。

運動会では、おやじの会に声をかけて、昼休みに本部テントの前で、被り物をかぶったり、着ぐるみをきたり。そんなかけっこを企画します。入学式には顔出しフレームをつくって、「小学校へようこそ」の気持ちをこめて、記念写真のシャッターを押すことで、人と人とをつなげていきます。こんなことをPTAやおやじの会で、ゆるくおもしろく楽しんでいるのです。

 

3.暮らしの中に「ありがとう」を生み出す

~誰のせいというよりも、「私たちの暮らし方」の問題として考えるために~

 

サービス社会の先には、消費者しか育たない暮らし方が待っています。例えば、保育所がサービスだとすると、そこでけがをしたこどもに手当をしてくれた先生に「なんで、けがをさせたのですか?」となっていきます。けれどみんなで作る保育園であれば、当然我が子のけがを手当てしてくれた先生には「ありがとう」と感謝の言葉がでてくるはずなのです。

こどもと公園で遊ぶイベントでのことです。

参加者をお客さんにしてしまうと、「○○ができなかった」「○○をしてくれない」と言いつけのようなことが、スタッフに持ち込まれ、かかわるスタッフが疲弊し、もうやりたくなくなりました。そこで、次からは、参加者に対して、入場する前にスタッフが、このイベントはボランティアで運営していること、みんなで楽しむイベントであることを紙芝居で伝え、会場に入ってもらいました。すると、参加者がお客さんではなくなり、自分で考えて動き始めます。後片付けも一緒に行い、たくさんの「ありがとう」が生まれました。

「なにかあったらどうするのか」を「なにかあったら一緒に考えましょう」に変えていく。

これは、関係が緊張する社会から、「ありがとう」を生み出す社会への転換です。

自分にとって損か、得かではなく、自分のせいにされないかに怯えることなく、そこにいる人で遊び、そこにいる人で一番面白くすることを考えていくことそのものが面白いのです。

 

他にも西川さんは、七輪を囲んでいろいろ焼いて楽しむ「七輪の侍」(ちょんまげを被って、もっとおもしろがる)や会議参加者が犬の被り物かぶって、発言の語尾は必ず「○○○わん!」というようなゆるやかな場をまちのあちこちに生み出してきました。これからも近所の人と焚火や七輪を囲んで、ゆっくりとおしゃべりができる。そんな時間を取り戻していきたいものです。

                (出会いの場ポレポレ評議員 石橋裕子)

 

NPO法人ハンズオン埼玉について こちらへ →

 

2017年 新年のご挨拶 明けましておめでとうございます 希望に満ちた新しい年。誰もが、その人らしく輝ける年になりますように!

新年明けましておめでとうございます。

昨年は新しい取り組みに挑戦した年でした。

「安武ほんによかね会(20~40代)」を中心とした「安武そら豆祭り」や「久留米市西部障害者基幹相談支援センター」の開設。月2回の「安武こども食堂」やポレポレ祭りの「子ども広場」は地域をとても元気にしています。

希望に満ちた新しい年。日差しを浴びて大地に育つそら豆のように、誰もが、その人らしく輝ける年になりますように。

今年もよろしくお願いします。

 

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9月、社会福祉法人HOPさんが開設された「Sora」の竣工記念式典に参加しました。医療的ケアの方を受け入れるための浴室や宿泊場所などに様々な工夫。理事長の竹田さんとの出会いで多くを学び、勇気や元気もいただきました。

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9月28日(金)、社会福祉法人HOP(札幌市)の「Sora」開設において祝賀会が開催され、当法人より参加しました。札幌は九州から遠い場所ですが、理事長の竹田保さんにはこれまで大変お世話になっておりますので、竣工式には絶対にお伺いしたいと思い、夕方の6時ぎりぎりに札幌に着き、その夜の竣工記念式典に参加し、札幌を後にしました。

「Sora」は主に医療ケアを必要とされる重度の方を対象として開設され、「日中活動」のみならず、「児童ディ事業」「ショートステイ事業」を合わせて24時間、その方たちを支えるサービスを展開されていきます。施設を拝見し、医療的ケアの方を受け入れるための浴室や宿泊場所などに様々な工夫をされていました。

 

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 浴室                                  宿泊場所

 

竹田 保さんとの出会い

 

竹田保さんに初めて出会ったのは、確か2010年の秋です。当時、北海道厚生局長を務めていた藤木則夫さんが竹田さんに久留米に行くようにお願いしてくれました。

当法人が事務局を務める『生き方を探るシンポジウム』の実行委員長に筋ジストロフィーの塚崎修平君が就任したので、竹田さんに励ましてもらうためでした。竹田さんが、自ら筋ジスという難病と闘いながらの車椅子生活。しかし、数多くの事業所の運営と誰もが地域で暮らせる街づくりに挑戦しながら被災地支援、移動支援など多くを手がけておられ、当事者の経営者でもあり、リーダーでもある方なのです。

あの時、竹田さんは釧路から飛行機を乗り継ぎ、塚崎君を励ますためだけに久留米に来てくださいました。その後、塚崎君を北海道に呼んだり、彼が夜間にヘルパーを入れる時、一人暮らしする時、人工呼吸器をつけたりする時、岐路に立つ度に北海道から駆け付けてくださいました。そんな人情味のあるすごい方です。

 

竹田 保さんと一緒に東北震災支援に

 

2011年3月11日の東北震災地震、竹田さんは即座に部下を東北被災地に向かわせました。そして、ご自分は4月4日から被災地に入りました。私も宮城県石巻市に支援で入っていたので、竹田さんのリフトカーに乗せていただき、4日間、ボランティアセンターや地獄絵のような海岸端を回らせていただきました。危険を顧みず、休みもとらずに、被災者や支援者がいる場所に行く竹田さん。ハードなスケジュールの中、食事も口を通らなかったようでしたが、休まれることはありませんでした。すごい精神力と体力の持ち主。まさに精神力が難病を超えているという印象でした。出会いから約6年。竹田さんの生き方にはいつも多くを学んでいますが、勇気や元気もいただいてきました。         (常務理事 馬場 篤子)

 

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7月、私たちの「隣人」である東北を訪ねました。2011年3月、東北大震災の支援で駆けつけて、今。宮城県石巻市はようやく復興住宅の建設へ。福島県南相馬市の「相馬野馬追」には人々の底力、大きな復興の力を感じました。

7月23日(土)、24日(日)、東北の宮城県石巻市、福島県南相馬市に行きました。福島県双葉郡浪江町の橋本由利子さん(NPO法人コーヒータイム理事長)から「南相馬市」に新居を建てたので、「わが家に泊って、相馬野馬追(そうまのまおい)を見においで」というお誘いがあったので、気楽にお伺いしたという感じです。浪江町は福島原発から20キロ圏内にある町です。東北は距離的には九州から遠いところですが、私の気持ち的には久留米の隣町という感じです。

遡れば2011年3月11日の東北大震災。支援の仲間から東北の沿岸部は軒並み壊滅状態で助ける人がいないと聞き、九州から隣人として東北に駆けつけるべきと考え、2011年3月26日から5月まで石巻市や南相馬市に入りました。この間に出会った方々は今も連絡を取り合うようなおつきあいをしています。

2011年は月に1、2回は、当法人の職員を連れて東北に通いつづけました。そして、その年から5年間、今度は、被災地の皆さんが秋に開催する当法人の「ポレポレ祭り」に駆けつけてくださいました。まさに、支え支えられて信頼関係が深まり、今や親戚に近い関係になっているように思えて、有難いことです。

 

23日(土)13時過ぎに仙台空港に着くと、鈴木さん(石巻市職員)が空港まで迎えにきてくださいました。鈴木さんは震災当時、河北総合センター「ビッグバン」の職員。そこは大勢の被災者の避難所となっていましたので、泊りがけで支援に行った際に出会った方です。

まず、石巻市の遠藤さんの新居をたずねました。その後、追波川仮設住宅も訪問。2019年までに完成予定の復興住宅に入居する方々が住んでおられ、被災地ではやっと6年目にして、広大な土地に復興住宅が建設されようとしています。

 

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遠藤さん宅         追波川復興住宅予定地     追波川仮設住宅の皆さんと

 

その後、南相馬市の橋本さんの新居(浪江町に家があるが放射能濃度が高いため家に戻れない)にお邪魔しました。

 

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翌日24日(日)、国指定重要無形民俗文化財の「相馬野馬追(そうまのまおい)」が行われている福島県南相馬市へ行きました。23日から25日までの3日間、相馬市の相馬中村神社で行われる出陣式を皮切りに、南相馬市原町区の雲雀ヶ原祭場地を中心に繰り広げられ、延べ約19万3千人の観客が見つめた戦国絵巻さながらの光景です。

厳しい東北大震災を乗り越えて、まだほとんどが今年も避難先の仮設住宅などからの騎馬武者として出陣という中、24日は約440騎の騎馬武者、約4万3000人の見物人です。

相馬総大将による「先祖から引き継いできた野馬追をやりぬくことが復興に寄与することと信じ、復興を期待する」との訓示もありました。兜や衣裳を始め、馬は3月頃から中央競馬場から借りるとのことで、費用的にも高額ですし、祭りを推進するには乗馬などの日頃の訓練もかなり必要です。これが1000年以上も続き、いわゆる現代っ子にも受け継がれているとお聞きして、相馬市や南相馬市の底力のようなものを感じました。

毎年、どうしてこのように手間暇は勿論のこと、費用がかかることができるのでしょうか。南相馬市は、震災前の70,000人という人口が、震災後、放射能被害により、2011年6月には34,600人になりました。翌月も「相馬野馬追」を実施。そして、2016年6月の人口は62,500人に戻っています。それは、地元の皆さんの誇りである「相馬野馬追」の力だと思いました。復興の大きな力になっているのです。

初めて「相馬野馬追」を目の当たりにして、私は大きな驚きと感動を覚えました。自分が想像していたような「武者行列」ではなく、この地の人たちの魂を感じられる行事であり、震災からの復興を成し遂げていくためになくてはならない重要な祭事なのだということが、よく理解できました。   (常務理事 馬場 篤子)

 

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熊本地震支援のご報告⑩ 熊本は今なお、地震が続いています。西原村に仮設住宅が完成しました。引き続き、夏物の下着などのご協力をお願いいたします。

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7月17日(日)、ポレポレ祭りに6年連続で出店していただいている福島県浪江町の橋本さんがこちらに来られましたので、一緒に熊本県八代の入所施設に地震のお見舞いに行きました。入所施設は福祉避難所になっていますので、地震の際には近隣の障害者施設の皆さんや近所の方々が避難されていたそうです。

ちょうどお邪魔している時に地震がありました。大きな地響きの音とすごい揺れでしたが、それでも震度「3」でした。1日に1回は小さな地震があり、震度「3」程度の地震が2日に1回はあるそうです。直下型の地震とは、こんなにも大きな音と突き上げるような揺れがあるのかと驚きましたし、熊本県の皆さんは怖いだろうなと思いました。また、「震源の深さ10km」が頻発しており、浅い場所での地震ですので、エリアメール(緊急地震速報)の発信が間に合わないとのことです。

 

「にしはらたんぽぽハウス」さんは、ボランティアの皆さんの「出会いの場」と「居場所」になっています。

 

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次に、被害が大きかった熊本県益城村を通り、西原村に入りました。梅雨前線による豪雨の影響もあり、川の堤防が決壊し孤立する民家もあったとのことで、さらに厳しい状況になっているように思いました。

久しぶりに、障害者自立支援センター「にしはらたんぽぽハウス」さんを訪問しました。(一社)筑後中小企業経営者協会様を通して会員の皆様に呼びかけていただき、(株)キャリアリードさんや支援の方々からいただいた夏物のシャツなどをお贈りしました。「にしはらたんぽぽハウス」さんを通して、村内の支援活動のために活用される予定です。ご協力を有難うございました。

 

「にしはらたんぽぽハウス」さんには、今も日本中からたくさんのボランティアの皆さんが来ておられます。お会いしたのは、兵庫県西宮の青葉園(重心の通所施設)や西宮社協の方々、東京、徳島からの皆さんです。

興味深いのは、一度ボランティアでこの地を訪れた方が、この3連休を使って再び自発的に来られていたということ。そして、東京から来られた損保会社の方は、「また来週、他のメンバーを誘ってきます」、徳島から来られた人は、「来月、他のメンバーを誘ってきます」と話されていて、この輪は次々に拡がろうとしています。

震災ボランティアをきっかけに、見ず知らずの赤の他人がこの被災地で出会い、親しくなり、人のために一生懸命働き、寝食を共にし、ますます親しくなっておられるのです。

徳島のボランティアのお一人が久留米出身でしたので、当日は久留米に一緒に戻り、焼鳥屋で語り合いました。ご馳走のお礼に、来年の夏は徳島の阿波踊りの時に伺うことになりました。こうやって私たちもつながり、交流の輪が拡がっていくようです。

 

そのつながりを作ってくれているのはまぎれもなく、「にしはらたんぽぽハウス」の上村加代子さんや久保さんの力ではないかと思います。

震災後、状況によっては支援物資やボランティアが負担となり断っておられる処もありますが、上村さんは、支援物資も、ボランティアも「断らない」。「全て明るく受ける」ということ。上村さんの受け止める力は偉大です。確実に「にしはらたんぽぽハウス」さんは、ボランティアの人たちの「出会いの場」と、「居場所」になっています。

 

復興に向けて、西原村に仮設住宅ができていました

 

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4月から5月にかけて、西原村は地震が多く、皆さんはこの町に住み続けることができるかどうか心配だったと思います。

いよいよ復興に向けて仮設住宅が建ちました。戸数は302戸(第1次建設分:木造プレハブ50戸・第2次建設分:プレハブ252戸)です。7月9日、玄関鍵が渡されました。しかし、住宅の大きさに合わせて電気用品や家具などを購入しなければなりません。また住民の皆さんは出費がかさむようです。

夏物の下着などあると助かるとお聞きしましたので、再び、集めたいと思います。

皆さまのご協力をお願いいたします。  (常務理事 馬場 篤子)

 

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