社会福祉法人 拓く

お知らせ (インフォメーション)

2017年 新年のご挨拶 明けましておめでとうございます 希望に満ちた新しい年。誰もが、その人らしく輝ける年になりますように!

新年明けましておめでとうございます。

昨年は新しい取り組みに挑戦した年でした。

「安武ほんによかね会(20~40代)」を中心とした「安武そら豆祭り」や「久留米市西部障害者基幹相談支援センター」の開設。月2回の「安武こども食堂」やポレポレ祭りの「子ども広場」は地域をとても元気にしています。

希望に満ちた新しい年。日差しを浴びて大地に育つそら豆のように、誰もが、その人らしく輝ける年になりますように。

今年もよろしくお願いします。

 

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9月、社会福祉法人HOPさんが開設された「Sora」の竣工記念式典に参加しました。医療的ケアの方を受け入れるための浴室や宿泊場所などに様々な工夫。理事長の竹田さんとの出会いで多くを学び、勇気や元気もいただきました。

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9月28日(金)、社会福祉法人HOP(札幌市)の「Sora」開設において祝賀会が開催され、当法人より参加しました。札幌は九州から遠い場所ですが、理事長の竹田保さんにはこれまで大変お世話になっておりますので、竣工式には絶対にお伺いしたいと思い、夕方の6時ぎりぎりに札幌に着き、その夜の竣工記念式典に参加し、札幌を後にしました。

「Sora」は主に医療ケアを必要とされる重度の方を対象として開設され、「日中活動」のみならず、「児童ディ事業」「ショートステイ事業」を合わせて24時間、その方たちを支えるサービスを展開されていきます。施設を拝見し、医療的ケアの方を受け入れるための浴室や宿泊場所などに様々な工夫をされていました。

 

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 浴室                                  宿泊場所

 

竹田 保さんとの出会い

 

竹田保さんに初めて出会ったのは、確か2010年の秋です。当時、北海道厚生局長を務めていた藤木則夫さんが竹田さんに久留米に行くようにお願いしてくれました。

当法人が事務局を務める『生き方を探るシンポジウム』の実行委員長に筋ジストロフィーの塚崎修平君が就任したので、竹田さんに励ましてもらうためでした。竹田さんが、自ら筋ジスという難病と闘いながらの車椅子生活。しかし、数多くの事業所の運営と誰もが地域で暮らせる街づくりに挑戦しながら被災地支援、移動支援など多くを手がけておられ、当事者の経営者でもあり、リーダーでもある方なのです。

あの時、竹田さんは釧路から飛行機を乗り継ぎ、塚崎君を励ますためだけに久留米に来てくださいました。その後、塚崎君を北海道に呼んだり、彼が夜間にヘルパーを入れる時、一人暮らしする時、人工呼吸器をつけたりする時、岐路に立つ度に北海道から駆け付けてくださいました。そんな人情味のあるすごい方です。

 

竹田 保さんと一緒に東北震災支援に

 

2011年3月11日の東北震災地震、竹田さんは即座に部下を東北被災地に向かわせました。そして、ご自分は4月4日から被災地に入りました。私も宮城県石巻市に支援で入っていたので、竹田さんのリフトカーに乗せていただき、4日間、ボランティアセンターや地獄絵のような海岸端を回らせていただきました。危険を顧みず、休みもとらずに、被災者や支援者がいる場所に行く竹田さん。ハードなスケジュールの中、食事も口を通らなかったようでしたが、休まれることはありませんでした。すごい精神力と体力の持ち主。まさに精神力が難病を超えているという印象でした。出会いから約6年。竹田さんの生き方にはいつも多くを学んでいますが、勇気や元気もいただいてきました。         (常務理事 馬場 篤子)

 

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7月、私たちの「隣人」である東北を訪ねました。2011年3月、東北大震災の支援で駆けつけて、今。宮城県石巻市はようやく復興住宅の建設へ。福島県南相馬市の「相馬野馬追」には人々の底力、大きな復興の力を感じました。

7月23日(土)、24日(日)、東北の宮城県石巻市、福島県南相馬市に行きました。福島県双葉郡浪江町の橋本由利子さん(NPO法人コーヒータイム理事長)から「南相馬市」に新居を建てたので、「わが家に泊って、相馬野馬追(そうまのまおい)を見においで」というお誘いがあったので、気楽にお伺いしたという感じです。浪江町は福島原発から20キロ圏内にある町です。東北は距離的には九州から遠いところですが、私の気持ち的には久留米の隣町という感じです。

遡れば2011年3月11日の東北大震災。支援の仲間から東北の沿岸部は軒並み壊滅状態で助ける人がいないと聞き、九州から隣人として東北に駆けつけるべきと考え、2011年3月26日から5月まで石巻市や南相馬市に入りました。この間に出会った方々は今も連絡を取り合うようなおつきあいをしています。

2011年は月に1、2回は、当法人の職員を連れて東北に通いつづけました。そして、その年から5年間、今度は、被災地の皆さんが秋に開催する当法人の「ポレポレ祭り」に駆けつけてくださいました。まさに、支え支えられて信頼関係が深まり、今や親戚に近い関係になっているように思えて、有難いことです。

 

23日(土)13時過ぎに仙台空港に着くと、鈴木さん(石巻市職員)が空港まで迎えにきてくださいました。鈴木さんは震災当時、河北総合センター「ビッグバン」の職員。そこは大勢の被災者の避難所となっていましたので、泊りがけで支援に行った際に出会った方です。

まず、石巻市の遠藤さんの新居をたずねました。その後、追波川仮設住宅も訪問。2019年までに完成予定の復興住宅に入居する方々が住んでおられ、被災地ではやっと6年目にして、広大な土地に復興住宅が建設されようとしています。

 

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遠藤さん宅         追波川復興住宅予定地     追波川仮設住宅の皆さんと

 

その後、南相馬市の橋本さんの新居(浪江町に家があるが放射能濃度が高いため家に戻れない)にお邪魔しました。

 

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翌日24日(日)、国指定重要無形民俗文化財の「相馬野馬追(そうまのまおい)」が行われている福島県南相馬市へ行きました。23日から25日までの3日間、相馬市の相馬中村神社で行われる出陣式を皮切りに、南相馬市原町区の雲雀ヶ原祭場地を中心に繰り広げられ、延べ約19万3千人の観客が見つめた戦国絵巻さながらの光景です。

厳しい東北大震災を乗り越えて、まだほとんどが今年も避難先の仮設住宅などからの騎馬武者として出陣という中、24日は約440騎の騎馬武者、約4万3000人の見物人です。

相馬総大将による「先祖から引き継いできた野馬追をやりぬくことが復興に寄与することと信じ、復興を期待する」との訓示もありました。兜や衣裳を始め、馬は3月頃から中央競馬場から借りるとのことで、費用的にも高額ですし、祭りを推進するには乗馬などの日頃の訓練もかなり必要です。これが1000年以上も続き、いわゆる現代っ子にも受け継がれているとお聞きして、相馬市や南相馬市の底力のようなものを感じました。

毎年、どうしてこのように手間暇は勿論のこと、費用がかかることができるのでしょうか。南相馬市は、震災前の70,000人という人口が、震災後、放射能被害により、2011年6月には34,600人になりました。翌月も「相馬野馬追」を実施。そして、2016年6月の人口は62,500人に戻っています。それは、地元の皆さんの誇りである「相馬野馬追」の力だと思いました。復興の大きな力になっているのです。

初めて「相馬野馬追」を目の当たりにして、私は大きな驚きと感動を覚えました。自分が想像していたような「武者行列」ではなく、この地の人たちの魂を感じられる行事であり、震災からの復興を成し遂げていくためになくてはならない重要な祭事なのだということが、よく理解できました。   (常務理事 馬場 篤子)

 

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熊本地震支援のご報告⑩ 熊本は今なお、地震が続いています。西原村に仮設住宅が完成しました。引き続き、夏物の下着などのご協力をお願いいたします。

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7月17日(日)、ポレポレ祭りに6年連続で出店していただいている福島県浪江町の橋本さんがこちらに来られましたので、一緒に熊本県八代の入所施設に地震のお見舞いに行きました。入所施設は福祉避難所になっていますので、地震の際には近隣の障害者施設の皆さんや近所の方々が避難されていたそうです。

ちょうどお邪魔している時に地震がありました。大きな地響きの音とすごい揺れでしたが、それでも震度「3」でした。1日に1回は小さな地震があり、震度「3」程度の地震が2日に1回はあるそうです。直下型の地震とは、こんなにも大きな音と突き上げるような揺れがあるのかと驚きましたし、熊本県の皆さんは怖いだろうなと思いました。また、「震源の深さ10km」が頻発しており、浅い場所での地震ですので、エリアメール(緊急地震速報)の発信が間に合わないとのことです。

 

「にしはらたんぽぽハウス」さんは、ボランティアの皆さんの「出会いの場」と「居場所」になっています。

 

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次に、被害が大きかった熊本県益城村を通り、西原村に入りました。梅雨前線による豪雨の影響もあり、川の堤防が決壊し孤立する民家もあったとのことで、さらに厳しい状況になっているように思いました。

久しぶりに、障害者自立支援センター「にしはらたんぽぽハウス」さんを訪問しました。(一社)筑後中小企業経営者協会様を通して会員の皆様に呼びかけていただき、(株)キャリアリードさんや支援の方々からいただいた夏物のシャツなどをお贈りしました。「にしはらたんぽぽハウス」さんを通して、村内の支援活動のために活用される予定です。ご協力を有難うございました。

 

「にしはらたんぽぽハウス」さんには、今も日本中からたくさんのボランティアの皆さんが来ておられます。お会いしたのは、兵庫県西宮の青葉園(重心の通所施設)や西宮社協の方々、東京、徳島からの皆さんです。

興味深いのは、一度ボランティアでこの地を訪れた方が、この3連休を使って再び自発的に来られていたということ。そして、東京から来られた損保会社の方は、「また来週、他のメンバーを誘ってきます」、徳島から来られた人は、「来月、他のメンバーを誘ってきます」と話されていて、この輪は次々に拡がろうとしています。

震災ボランティアをきっかけに、見ず知らずの赤の他人がこの被災地で出会い、親しくなり、人のために一生懸命働き、寝食を共にし、ますます親しくなっておられるのです。

徳島のボランティアのお一人が久留米出身でしたので、当日は久留米に一緒に戻り、焼鳥屋で語り合いました。ご馳走のお礼に、来年の夏は徳島の阿波踊りの時に伺うことになりました。こうやって私たちもつながり、交流の輪が拡がっていくようです。

 

そのつながりを作ってくれているのはまぎれもなく、「にしはらたんぽぽハウス」の上村加代子さんや久保さんの力ではないかと思います。

震災後、状況によっては支援物資やボランティアが負担となり断っておられる処もありますが、上村さんは、支援物資も、ボランティアも「断らない」。「全て明るく受ける」ということ。上村さんの受け止める力は偉大です。確実に「にしはらたんぽぽハウス」さんは、ボランティアの人たちの「出会いの場」と、「居場所」になっています。

 

復興に向けて、西原村に仮設住宅ができていました

 

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4月から5月にかけて、西原村は地震が多く、皆さんはこの町に住み続けることができるかどうか心配だったと思います。

いよいよ復興に向けて仮設住宅が建ちました。戸数は302戸(第1次建設分:木造プレハブ50戸・第2次建設分:プレハブ252戸)です。7月9日、玄関鍵が渡されました。しかし、住宅の大きさに合わせて電気用品や家具などを購入しなければなりません。また住民の皆さんは出費がかさむようです。

夏物の下着などあると助かるとお聞きしましたので、再び、集めたいと思います。

皆さまのご協力をお願いいたします。  (常務理事 馬場 篤子)

 

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7月1日、久留米市障害者基幹相談支援センターが開設されました。当法人は西部地区を担当します。ホームページも開設されています。ぜひご覧ください。

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久留米市障害者基幹相談支援センターは、障害のある方の総合的な相談窓口として、気になること・困ったことなどのご相談をお受けするセンターです。

ご相談の内容によりまして、久留米市や病院、事業所など必要な関係機関の情報を提供し、また、連携しながら解決に向けて一緒に考えていきます。

利用料金は「無料」です。

計画相談は、これまで通り行います。

 

当法人は、久留米市西部障害者基幹相談支援センターを担当します。

担当地区  城島・下田・青木・江上・浮島・犬塚・三潴・西牟田・荒木・安武・大善寺

 

■久留米市西部障害者基幹相談支援センター 概要

所在地  〒830-0071 久留米市安武町武島468番地2

TEL  0942-27-2038

FAX  0942-27-2038

メール  k-seibu-kikan@h-polepole.com

開所日  月曜日~金曜日 (8:30~17:15)

閉所日  土曜・日曜日・祝日及び年末年始

 

久留米市障害者基幹相談支援センターホームページは こちらへ 

久留米市西部障害者基幹相談支援センターの頁は こちらへ →

 

 

 

熊本地震支援のご報告⑩ 5月27日 熊本県益城町でのボランティア活動と避難所の視察を行い、西原村に支援物資をお届けしました。ガレキの撤去、支援物資の仕分け…。まだまだ人的支援が必要です。

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5月27日(木)、拓くの職員5名で、熊本県益城町でのボランティア活動、避難所の視察を行い、さらに西原村の障害者自立支援センター「にしはらたんぽぽハウス」さんに支援物資をお届けしました。

「にしはらたんぽぽハウス」さんには、(一社)筑後中小企業経営者協会様を通して会員の皆様に呼びかけていただき、株式会社栄電舎様、株式会社MGMコーポレーション様、有限会社三喜・ダスキン巨峰様より夏物の洋服や下着、タオル、カレー、調味料などの支援物資をいただきましたのでお届けしました。「にしはらたんぽぽハウス」さんを通して、村内の支援活動のために活用される予定です。ご協力を有難うございました。

 

朝、久留米を出発し、益城町に近づくと高速道路から被災した家が確認できました。

益城空港IC出口付近の5キロの渋滞を経て、9時頃益城町のボランティアセンターに到着。駐車場は前日の雨でぬかるんでおり、係りの方が整地に追われながら誘導されていました。

 

職員5名のそれぞれの報告については下記の通りです。

 

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私は2回目の被災地入りとなりました。今回、震災から1ヵ月が経過した現地の状況を確認し、もし自分たちの地域で、同様な事態が起きた場合、「今、すべきことは何か」という視点でボランティアに行かせていただきました。

支援物資は届いていますが、場所によって差があること。それを振り分ける大変さがあります。

体育館での個室の作り方、段ボールベッドの活用、ボランティアセンターの運営方法、簡易シャワーの設置方法など、東北大震災の教訓を活かしてずいぶんと進化していると思いました。

今回の熊本地震の経験を通して、さらに改善されていくと思いますが、人的支援が必要なことに変わりはありません。もしも、久留米の地で地震が起きたら…法人として、どう取り組むべきか想定していくためにも被災地支援を続け、学んでいきたいと思います。 

                            (統括本部長 北岡 さとみ)

 

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今回は、被害が集中している益城町へ行く機会を得ることができました。二度も震度7が起こり、「その恐怖は味わった者でしか分からない」「寝ていたら、揺れでベッドから床に落ちてしまった」と、もう住めなくなった家の前でおばあさんが話されていました。

目の前のブロック塀や家具などは、ボランティアの力で片付いていくのですが、これからの暮らしへの不安は途方もないことでしょう。

何度も足を運んだ「にしはらたんぽぽハウスさん」へも支援物資をお届けしました。事業所として、徐々に利用者さんの作業も行われているそうです。各地からの支援物資を預かったり、食事の提供を安価で行ったりと、まさに地域の拠りどころとなっています。ですが、非日常と日常が混ざりながらの生活は利用者さんを始め、誰もがしんどいことだと思います。ゆっくりでも、足を一歩前に進められるよう応援を続けられたらと思います。  (サービス管理責任者 上村 千尋)

 

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私たちは益城町のボランティアセンターにて個人宅のガレキの撤去を希望し、熊本の八代市から来られた方と一緒に向かいました。場所は被害の大きな益城町役場近くの寺迫という地区にあり、危険宅と判定された赤紙が貼られた家が並び悲惨な状況でした。

作業自体は簡単なもので時間もさほどかかりませんでしたが、依頼者の方にとても感謝していただきました。一緒にボランティアに参加された方は、宇土や宇城でもボランティアに参加されており、近い場所でNPO法人と社協がボランティアセンターをそれぞれ運営しておられる中、やり方の違いや対応に不満が出ていることもあったと話されていました。全体的に統率する難しさを感じました。

ガレキの撤去作業を終え、周辺を見て回りました。墓地はひっくり返されたようにぐちゃぐちゃになっていたり、行き場のないガレキが残っていたりと復興までに必要なことが多いと感じました。

次に、震災後から当法人が支援を続けている西原村の「にしはらたんぽぽハウス」さんへ新たな支援物資を届けてきました。生産活動を再開されており、ドレッシングや味噌を作られている最中でした。施設長の上村さんにお会いして色々お話を聞かせていただきました。そして、11月6日に当法人が開催する「ポレポレ祭り」においでいただくようご案内をさせていただき、快く承知していただきました。久留米市に足を運び楽しんでいただき、少しでも元気になっていただければと思います。(主任 前田 力哉)

 

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自分に出来ることはあるだろうかと不安でしたが、まだまだ人的な支援が必要であることが十分に分かりました。また、足を運びたいと思います。         (職員 森田さかえ)

 

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初めて被災地にボランティアに行かせていただきました。高速道路で熊本へ。熊本益城インターを過ぎ益城町の中の方に入ると崩れている家が見渡す限りにあるので衝撃を受けました。

現地では、ガレキを軽トラに積む作業をさせていただき、6~7人での作業でしたのですぐに作業は終わりました。しかしこの作業を1人でされている方もいらっしゃると思うと、地震から1ヵ月以上経った今もまだまだ人手が足りていない現状があるのだと感じました。

私たちが今すぐ出来ることは何なのか、それを考え日々過ごしていきたいと思いました。

                          (職員 碇 翔南子)

 

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熊本地震支援のご報告⑨5月23日 熊本県益城町でのボランティア活動と避難所の視察を行い、西原村に支援物資をお届けしました。夏用の洋服や備品が必要になっています。ご協力をお願いいたします。

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  益城町のボランティアセンター    支援物資

                                                                              

5月23日(月)、拓くの職員5名で益城町でのボランティア活動と避難所の視察を行い、西原村の障害者自立支援センター「にしはらたんぽぽハウス」さんに支援物資をお届けしました。

(一社)筑後中小企業経営者協会様を通して呼びかけていただき、会員企業の山一産業株式会社様や地域の方々より支援物資をいただきました。

ご要望をいただいた女性用のズボン、夏物の洋服、下着、タオルなどです。

「にしはらたんぽぽハウス」さんを通して、村内の支援活動のために活用される予定です。ご協力を有難うございました。

被災された方々の中で、家の中に入れず夏服を持ち出すことができない方も多くおられます。季節が変わる中で、それに応じた服や備品が必要になるということでした。今後もご協力をお願いします。

 

職員5名のそれぞれの報告については下記の通りです。

 

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益城町のボランティアセンター

 

今回は、益城町のボランティアセンターを通じて、がれき(ブロック塀)撤去の活動を行いました。

ボランティアの受付には、早朝から若い人から年配の方まで長蛇の列。これだけの人数が一気に受付に殺到するので、混乱すると思いきや、とてもスムーズに受付からオリエンテーション、マッチングに進むことができました。モノの配置や動線も分かりやすく、マッチングも席順が前の方から優先的に選ばれるなど、とても分かりやすいシステムでした。ボランティアセンターの運営はとても進化しているように感じました。

もしも受付が混乱し、なかなかマッチングに結びつかなかったら、また次に来てくれるでしょうか。「受け入れる力」はとても重要だと感じます。拓くが受け入れる立場になった時、どこに物資を置き、どこが避難スペースにできるだろうか、「受け入れる力」を育てておく必要があると感じました。 (副本部長 浦川 直人)

 

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益城熊本インターを降りると、すぐには震災があったとは思えないようなのどかな風景が広がっていましたが…。被災中心地に近づくにつれて風景は一変し、崩れた家などが現われ、中心地とそうでない場所では全く違う光景でした。

今回、私が強く感じたのはボランティアの受け入れと作業体制がしっかりしていたことです。受け入れ体制はもちろんのこと、作業内容も被災者のニーズを聞いてボランティアの人にあった作業をマッチングして決めるやり方はとてもボランティアに行きやすい環境が整えられていて勉強になりました。

私たちは個人宅の壁を壊す作業に入りました。その家主さんが「うちの被害は少なかった」と言われましたが、私たちからすると目に余る光景でした(>_<)。被災者の皆さんが、今望んでおられることなどは実際に現地に行かないとやっぱり分からない事だと、今回のボランティアで実感しました。少しでも早く熊本が復興できるように、これからも自分に出来ることをやっていきたいと思います。    (主任 児玉 元気)

 

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益城町のボランティアセンターでマッチングがあり、我々一行は天草から来られた方と合流し、ご依頼者宅のブロック塀の解体及び撤去を行いました。気温が高い中での体力のいる作業でしたので、こまめに水分補給と休憩を取りながらの工程となりました。

付近には一階が押し潰れた住宅がいくつも見られ、東北大震災の津波の時とはまた違う直下型の被災地の状況に目を奪われました。久留米では我が家の裏に水縄断層が走っているので、とても他人事とは思えず、どんな住宅が残っているのか思わず探してしまっている自分がいました。作業を終えた際、お礼を言われるご依頼者の中村おばあ様のかわいい笑顔がとっても印象的でした。

(職員 内田)

 

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ボランティア活動の後、益城町の被災地を視察しました。盛り土が崩れて傾いた家の多さに驚くとともに地割れが至るところにみられ、これが久留米で起きた場合のこと、特にグループホームでの想定を考えずにはいられませんでした。

(職員 安倍 弥生)

 

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今回初めてボランティアに参加させていただきました。今までは「何かできることはないだろうか」と思いながらも、その次の1歩がなかなか出なかったのですが、今回は法人からの呼びかけもあり、思い切って参加することに決めました。

当日は職員5名での参加で、中には被災地に何度も足を運び現地に詳しい方がいらっしゃったので、初心者の私にとってはとても心強かったです。

益城町に近づくにつれてブルーシートに覆われた家が見え始めましたが、震源地に近づくと景色が一変。傾きかけた家や倒壊している家屋がたくさんあり、道はボコボコになって運転するにも注意が必要でした。テレビなどで見る映像とは違い、間近で見ると今回の地震の強さ・怖さを改めて感じました。

ボランティアセンターには朝から行列ができており、年齢・性別問わず個人や団体での参加が見られました。今回は個人宅に行き、余震で揺れた場合に不安定だとされるブロック塀を壊して片づけるという作業を6名で行いましたが、道具もボランティアセンターからの貸出があり、また作業が終われば報告をして翌日の作業につなげていくというシステムでとても分かりやすく、参加しやすいように感じました。

作業を終えると現地の皆さんからとても感謝をしていただき、私たちも1つの作業が終わって満足感もありましたが、ボランティアでは立ち入れない危険な場所や倒壊した家にはまだまだ手をつけられておらず、たくさん残っている状況です。

ボランティアに参加して、被災地を目の当たりにすることでテレビや報道では感じることのできない被災地の状況・地震の怖さを改めて感じることができ、今後どう対応・対策していくべきかを改めて考えされられました。また今回参加したことを機に、次に進む1歩につなげていければと思います。       

(管理栄養士 武田麻衣子)

 

 

P1040550  にしはらたんぽぽハウスさん

 

熊本地震支援の報告⑧ 5月19日 熊本県阿蘇郡西原村に、ご飯やインスタント味噌汁、蚊取り線香、下着やタオルなどの支援物資をお届けしました。地震から約1ヶ月、益城町と西原村のまちの様子もご報告します。

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 「にしはらたんぽぽハウス」さんにて   支援物資をお届けしました

 

 

5月19日(木)、「出会いの場ポレポレ(安武町)」の隣にある野口石油(ガソリンスタンド)の野口剛さんと一緒に、熊本県西原村の障害者自立支援センター「にしはらたんぽぽハウス」さんに支援物資をお届けに行きました。

地域の方々や(一社)筑後中小企業経営者協会様を通して呼びかけていただき、会員企業の株式会社天年堂様、オフィスケイ様より支援物資をいただきました。ご要望をいただいたお湯やレンジだけで食べられるご飯、インスタントの味噌汁、蚊取り線香、下着やタオルなどです。

「にしはらたんぽぽハウス」さんを通して、村内の支援活動のために活用される予定です。ご協力を有難うございました。

 

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益城町 現在の様子                     地震前の様子(Google mapより)                        

 

地震から約1ヶ月が経ち、今の熊本被災地はどうなっているのか…、今回は、たんぽぽハウスさんに向かう途中に益城町と西原村の被災の現場やボランティアセンター、避難所なども視察しました。テレビでよく報道されている益城町の街中に入ると、八百屋やコンビニなど営業を再開している店もまばらにありました。しかし、一歩路地にはいると倒壊した家屋はそのままで、ほぼ震災当時のまま、手つかずの状態でした。

路地に入り現場を歩いていると、町の方々とお話しする機会がありました。地震当時の様子や避難生活のことについてお伺いしました。その方は、倒壊した自宅の前のビニールハウスの中にテントを張ってまだ生活をされているということでした。ただ、お話ができたのも、私たちが不審者じゃないかと思い、声を掛けたということでした。その地区でも、盗難が実際に発生していて、現金やパスポートなど大切なものが奪われたそうです。二次的な人災から立ち直るにも時間がかかるのではと感じました。

また、ガソリンスタンドに寄り、店員さんに当時の様子を聞きたり、避難所を何軒か廻ったりしました。避難所も、段ボールベッドが入って仕切りがある所、全く仕切りもなく、雑魚寝状態の所と格差があるのが実態でした。

 

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益城町

 

さて、たんぽぽハウスさんに到着。

これまで実施していた炊き出しが行政からの指導で打ち切られたということで、外に設置されていたキッチンスペースもなくなっていました。利用者の皆さんも数名戻ってこられ、活動が始まり、少しずつ日常を取り戻している様子でした。しかし、職員さんはまだテント生活をされており、個人の生活は変わらないままでした。

相変わらず、行政が運営する避難所については支援物資の受け入れが中断されていますが、たんぽぽハウスさんには物資が日々届いていました。ただ、物資庫は物資が散在しており、整理が必要な状態でしたので、私たちは出来る限りの時間を使って整理をさせていただきました。

物資庫の整理が終わる頃に、厨房からいい匂いがしていたので、行ってみると、ラーメンのスープを仕込んでおられるところでした。被災の前のことですが、毎週金曜日には、たんぽぽハウスさんにてラーメンが振る舞われて大盛況だったそうです。「金曜日のラーメン」が復活するということで、たんぽぽハウスさんとして大きな前進になるのではないでしょうか。

(副本部長 浦川 直人)

 

熊本地震支援のご報告⑦ 5月12日、熊本県阿蘇郡西原村に、支援の一環としてボランティアの派遣、蔵出し即席みそ汁、敷き布団マットレスなどをお届けしました。

IMG_20160512_103012  サクラみそ食品(株)様よりお預かりした支援物資

 

(一社)筑後中小企業経営者協会様を通して会員企業の皆様に支援物資の呼びかけをさせていただきましたところ、サクラみそ食品株式会社様より、蔵出し即席みそ汁をご提供いただきましたので熊本県阿蘇郡西原村にお届けしました。地域の皆様に提供される予定です。

誠に有難うございました。

 

当法人の職員は、障害者自立支援センター「にしはらたんぽぽハウス」さんにて、支援活動を行っています。そのレポートを紹介します。

 

IMG_20160512_145307  ブルーシートで覆われた家が目立つ西原村

 

5月12日(木)。熊本県阿蘇郡西原村は、二日続いた雨が上がり、雲ひとつない青い空が見えました。屋根を覆ったブルーシートが目立ちます。

久留米から出発する日は、何が必要なのか、たんぽぽハウスさんに確認して物資を運んでいます。今日運んだのは、棚の上などを整理するためのケースやラック。そして、洗濯干場の用具と敷布団のマットレス。地震から1ヵ月、避難されている皆さんの生活環境を整えるための用具が必要になっていると思います。

今日は、ボランティアのスタッフで、キッチンと外回りなどの片付けをしました。たんぽぽハウスさんの利用者の皆さんの活動と炊き出し、片付けなどに人手が必要な状況がよく分かりました。

 

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現在、物資はたくさん届いていますが、それを整理する人が必要な状況です。

たんぽぽハウスさんには、村内の被災者の皆さんが支援物資を求めて来られたり、夕食を食べに来られたりして、地域に必要な拠点になっています。そのような場所で活動されている利用者さん、職員さんが震災前の日常に戻れるよう、私たちは人的支援を続けていきたいと思います。

私たちボランティアは、今、すべきことを自らが気付き、人をも動かすことが必要だと思います。

これから梅雨に入り、暑くなっていくことを考えると、一日も早く生活環境を整えて、衛生の面でも安全な場所を確保していく必要があると痛感しました。 (本部長 北岡 さとみ)

 

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熊本地震支援のご報告⑥ 5月10日~5月12日の3日間、熊本県阿蘇郡西原村に、支援の一環としてボランティアの派遣、軽トラックもお届けしました。当法人の職員は、障害者自立支援センター「にしはらたんぽぽハウス」さんにて、作業サポートや食事づくりなどを実施。連休明け、さらに人的支援が必要とされています。

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 熊本地震支援の活動におきまして、熊本県阿蘇郡西原村の皆さんより、「今、瓦礫などの撤去で運搬に使える軽トラックがほしい」とのご相談がありました。

そこで、株式会社ニシケン様(福岡県久留米市)にご無理を申し上げましたところ、お借りすることができました。

5月10日にお届けし、1ヵ月間、障害者自立支援センター「にしはらたんぽぽハウス」の皆さんを通して、村内の支援活動のために活用される予定です。

ご協力をありがとうございました。

 

 

5月10日~5月12日、当法人の職員は、障害者自立支援センター「にしはらたんぽぽハウス」さんにて支援活動を行いました。そのレポートを紹介します。

 

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5月10日(火)の初日、熊本県阿蘇郡西原村は一日中雨でした。時より激しく降り続き、雷も鳴る中、西原村内に大雨警報、避難指示も出ました。私は、障害者自立支援センター「にしはらたんぽぽハウス」さんの支援に伺いました。たんぽぽハウスさんは、農業や食品加工販売を行う、利用者20名程の就労継続B型事業所です。

時折、携帯電話のエリアメールの「あの音(アラーム)」がなると、職員の皆さんは表情が一瞬曇ります。余震などが収まると、直ぐに作業に戻ります。昨日の午後から利用者さんもここに来て作業を始めたとのこと。しかし、いつもの半数の皆さんです。道路が寸断されているので送迎ができず、来所することができないそうです。確かに5分も車で走れば、がけ崩れで山に当たってしまいます。現在、4名の利用者さんがたんぽぽハウスさんに避難されています。自閉症の小学生の男子も急遽、夜はここに泊まっているとのこと。その子のお姉さんが、今は大学が休校とのことでボランティアに来ておられました。

 

たんぽぽハウスさんには6名の職員がおられ、作業と片付け等を分担しておられます。また、村内の被災者で避難されている方への温かい食事提供の支援も行っていました(炊き出しにて230食)。しかし、それは今夜まで。行政の方から、食事提供の支援が平等ではない部分もあるとのことで、ストップが出たそうです。東北大震災の時の経験から言えば、これからが温かい食べ物が必要とされ、実際、提供された時期になるのですが、ここでは、今からが冷えた状態のお弁当提供になります。これは課題だと思います。

地震列島の日本では、阪神淡路大震災以降、被災者や支援者の皆さんが経験していることから多くを学び、仕組み作りを始めなければならないと感じました。勿論、それは個人のペースにおいても大切です。熊本出身の私として身近に災害が起こったことで、やっと他人事ではないことに気付かされました。

たんぽぽハウスさんでは、今日が1ヵ月遅れでの給料日でした。明日は雨も上がるでしょうから、もう少し動きがとれるかと思います。連休明け、ボランティアは減っています。息の長い人手が必要です。

 

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避難している方々、250名に提供した食事。

 

5月11日(水)の2日目は、太陽も出て少し不安が減りました。余震、土砂災害などの不安を常に抱える被災者の皆さんはもっとしんどいと思います。中・長期的なお手伝いを考える組織があることに、人のつながりを感じました。2週間、もしくはずっと京都・名古屋から人を派遣している社会福祉法人は理念がすごいなあと思います。

ボランティアが減る中、炊き出しにも制約がありますので、食事サポートが中心。支援物資を見て、30人分の食事を作りました。たんぽぽハウスの職員の方はそこまでの指示の余裕はありません。「食材にダメなものはないので全て使ってください」とのことでした。他に、利用者さんの作業サポートをしました。ここにきて、やっと一人の職員さんが地震発生以来、初めて休みがとれるそうです。 (職員 上村 千尋)